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勾玉のパワー

古代から用いられてきた神秘的なパワーを持つ勾玉

古代から用いられてきた神秘的なパワーを持つ勾玉 勾玉というとどんなイメージをお持ちでしょうか?
多くの方が、弥生時代や古墳時代、卑弥呼、日本武尊などが首や耳につけていたような・・・と思い浮かべるのではないでしょうか?

勾玉は弥生時代や古墳時代に人望や尊敬の証として用いられていました。
また、魔除け、命の源ととも考えられ、非常に大切にされていました。

また、勾玉の形や穴の位置にもきちんと意味があり、古代の人々はその力を理解していたといえ、非常に神秘的なパワーを持っていたことが伺えます。

 

 

なぜ、人望や尊敬の証なのか?

なぜ、人望や尊敬の証なのか? 勾玉は真我魂とも呼ばれていました。

古代の人々が勾玉一つを作り上げるのにどれくらいの時間がかかっていたかご存知でしょうか?現代のように機械の力で加工するなんてことはできないわけです。
原石からひとつの勾玉をつくるのにおよそ11年かかっていたと言われています。当時の平均寿命は14.5年程度と言われていましたから、まさに物心付いたときから一生を懸けて作るわけです。

つまり、複数の勾玉を持っているということは、送った人達の一生をもらうと等しいこと。なので、勾玉を複数持っている人は人望や尊敬、権威を非常に持っていたと考えられるのです。

 

 

勾玉の形はなぜあんなふうになっているのか?

勾玉の形はなぜあんなふうになっているのか? 勾玉は水のしずくを逆転したような形に一番大きな部分の中央に穴が開いています。なぜ、こんな形をしているのでしょうか?

勾玉の形の意味に関しては諸説あり、お腹の中の胎児、月の満ち欠け、動物の牙などの説がありますが、確定的な発見はいまだにありません。

これは実体験からですが、白い紙に勾玉の形を描いたもの、勾玉の形だが穴がない形を描いたもの、勾玉の穴の位置を別の部分に描いたもの、ただの円を描いたもの、四角を描いたもの、それぞれをもってオーリングすると、みなさまが良く知る勾玉の形を描いたものが一番パワーを感じることができたのです。
仮設ですが、勾玉に開いている穴は紐を通すための穴ではなく、パワーを高める意味を持っていたのではないでしょうか。

 

 

勾玉の不思議な力

勾玉の不思議な力

勾玉の不思議な力を垣間見れる事例をご紹介しましょう。

大阪府の泉大津市・和泉市に池上曽根遺跡という弥生時代の中でもかなり規模の大きな集落後があります。
この池上曽根遺跡にはとても大きな神殿があったようで、26本の柱を使っていました。このうち1本だけが、痛みがなかったのです。その柱の下を掘ると翡翠(ヒスイ)の勾玉が埋まっていました。

又、弥生時代の、大規模環濠集落、奈良県田原本町の、唐古・鍵遺跡(国史跡)から、翡翠の勾玉2個が、褐鉄鉱と呼ばれる鉱物の容器に入った状態で出土されました。仙薬「禹余糧」といい、紀元前後の物と推定されます。「不老不死の妙薬」として使われ、光明皇太后が、756年、聖武天皇の遺品を、東大寺に献納した「種々薬帳」に載り、正倉院御物に残っています。古代の人が、勾玉のパワァーを知っていてそのパワァーを利用し不老不死の薬として使っていたのではないでしょうか。

最後に天皇家に伝わる三種の神器ですが、「剣」は武器として、「鏡」は通信手段や光としてと説明がつきますが、「勾玉」だけは結び付けられる要素がありません。天皇家の寿命が当時の一般人より長かったという部分を考えると、生命力を高めるためのもの・・・とも考えられるかもしれませんね。